何が現実なのか。。

いろんなことを考えていると、どんどん、1つのことを突き詰めて考えるようになって、忙しくしているときには考えなかったような細かいことまで、すっかり考えるようになりました。そんなのは暇人のすることとか、現実逃避なんじゃないかって、自分自身も以前は感じていたけど、考えているうちになにが現実なのか、ってところまできてしまった
せっかくなので書いてみようと思う。

きっと一生懸命、勉強やお仕事などに打ち込んでいる人にとっては、イラっとするかもしれないけど、そうであればスルーしてくださいね~
 

会社での出来事、

私:「毎日同じ時間に同じ場所に来て。。。辛い。。もう限界かも。。」

会社の人:「みんな同じだから」

 

まぁ、一般的なやり取りなのかとも思うけど、私にとって「みんな同じだから」って言葉に説得力を一切感じない。同じように会社に通勤している人の中には、やりがいがあって、楽しくて、ものすごく充実している人もいるかもしれないし、そうゆう人はそれで問題ないと思う。

でも、どのくらいかわからないけど、やりがいも感じていなければ、楽しくもなくて、辛い人だっていると思う。で、「みんな同じ」が不思議に感じたのは、どうして、辛くて、不満がいっぱいなのに、我慢しているのだろうって。それが「普通」になってしまっている世の中(日本)のほうがおかしいのじゃないか? 

で、更に考えてみると、「現実逃避しないで現実を受け入れる」とかいう人がいるけど、じゃあ、その「現実」って何?例えば、仕事や勉強のことを「現実」と呼ぶのなら、そうゆうことから逃げるのが現実逃避、そうじゃなくて、好きなことだけをやって、お金に縛られず、好き勝手に生きていくことが「現実」なら、そこから外れて、仕事や勉強をすることが現実逃避(?)

いや、どっちも現実。むしろ、仕事や勉強など、世間一般にまともだと言われていることだけを「現実」と考えるのはおかしいし、みんな同じ人間だし、向き不向き、好き嫌い、運がいい悪い、頑張れる人、頑張れない人、いろいろあるから。あまり頑張らなくてもスルスル知識が入ってくるぐらいの勉強なら、その人に合っているのだと思うけど、そうじゃなくて、辛い時間を過ごしてまでやるのは間違っていたんだなって思う。ただ、辛くても、それは体力的なものだけで、精神はまったく蝕まれていないのであれば、あまり問題はなくて、身体だけが辛いうちに対処しておいて、精神まで蝕まれないように予防する必要があると思う。

負け惜しみや言い訳のように聞こえるけど、それは仕方ないし、今となっては勉強をしないことに対する罪悪感はまったくなくて、かなりゆったりしている。 ただ、元々勉強が好きで続けていたので、勉強をしないと言っても、仕事の中で「あ、これは監査の勉強に使える覚え方かもしれない!」なんてことは自然に目についてしまう。

なので、まだまだ、「これがやりたい!」って少しでも思うことは何でもやってみて、心の底から素に戻れるまでは世間一般に言われる現実逃避を続けようと思う。 




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