「頑張り」の糧は?

以前、CPAなどの勉強をしている時期、人からよく言われた言葉があります。

「大変だね」

「がんばって」

「努力家だね」

って。

で、どの言葉も嫌いになりました。言われるのも、自分から言うのもね。

私の場合、そもそも、勉強は楽しくてやっていたのだし、娘という宝物のために頑張ることが生きがいだったし、周りが何も見えなくなるくらい楽しくやっていたんです♪

大変だね→大変じゃない(´・ω・`) 心の底から楽しいです♪

頑張って→楽しいから頑張れるし、そもそも頑張ろうと思わなくても勝手に体と頭が頑張ってくれる♪

努力家だね→努力じゃないの、楽しいからできちゃうの♪ 

まぁ、そのころの私は母子家庭で収入もなく、仕事をやめて大学に行ったりしていたから、他人からしたら何かとんでもない事情があるんだな。。。なんて思われていたのだと思いますが(笑)

社交辞令ってやつかもしれない。私はこの社交辞令を言うのも言われるのも苦手。

社交辞令を言わなくても親しくなれる友達はいつまでも友達になってますね。

そんな時間もあったななんて思いを巡らせていましたが、今は、「頑張る素」を見失っています。。娘も結婚し、何を糧に頑張る?みたいな空白の時間。。。

生涯独身の方は、こんなとき強いんじゃないかなーなんて、最近よく感じます。生涯独身は強い!若いころから変わらない何か頑張れる糧がある!と良く思うようになりました。

ある意味未知の世界です~。私もそうなりたい( ;∀;)

これから何を糧にがんばるか、。。そんなことを考えること自体が不自然なんだと思う。ピンとくるまで気の向くまま、やってみます~。

 




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